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大阪地方裁判所 昭和34年(ワ)3092号 判決 1966年5月31日

原告 下江秀夫

被告 学校法人近畿大学

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告が原告に対し昭和三〇年六月一八日付でなした解雇の意思表示が無効であることを確認する。被告は原告に対し被告大学の職員としての取扱をし健康保険加入の手続をせよ。訴訟費用は被告の負担とする」との判決ならびに保証を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求原因として

一、被告(以下、単に大学ともいう)は学校法人法による総合大学(法、商経、理工、薬各学部、短期大学部)であり、原告は昭和二六年一月一日、大学の理工学部機械工学科の非常勤講師として採用され、同二七年四月一日より専任講師として勤務していたものであるが、大学は原告に対し昭和三〇年三月一九日「都合により休職を命ずる」という一片の辞令をもつて突然休職を命じ、更に三ケ月の右休職期間の満了により、同年六月一八日付で退職になつたとして、その頃、原告に対し解雇の通告をした。

二、しかしながら大学の原告に対する右解雇は何等正当な理由がないから無効である。

(一)、大学は原告に対する右休職ならびに解雇理由の一として、原告に酒行上の悪癖があり、教職員として適当とは考えられないほど常軌を逸した醜態を演ずることが屡々あつたと主張するが、被告がこの点について主張するところはすべて事実無根である。すなわち

1、原告は昭和二七年八月頃の夏期休暇中、飲酒のうえ、当時、大学構内の楢崎浅太郎方二階に居住していた同僚の商経学部長川西正鑑教授を呼び出すため、階下の楢崎氏方玄関において大声を出しただけであつて、障子を破壊したことはない。

2、昭和二八年三月一五日の卒業式当日、小使松村キタが一学生より酒をすすめられて飲んでいたことがあり、同女は元来酒癖のよくない女であるが、原告が同女を怒鳴りつけたり、その頬を殴打したことはない。

3、同年一一月二五日の教職員忘年会の席上、原告は酔余の愛嬌から、理工学部長平尾子之吉教授の禿頭を冗談に軽くなでただけであり、何ら悪意のある暴行ではない。

4、昭和二九年五月五日、教職員互助会のリクリエーシヨンの際、原告は朝鮮人十名位にとりかこまれて殴られていた日本人を救うため中に入つて口でとめただけであり朝鮮人と喧嘩したことはない。

5、原告は授業時間中に酒を飲んで講義したことはなく、教授講師控室で大声で雑談することは、何ら授業や研究の妨害になることではない。

(二)、大学は原告に対する休職ならびに解雇理由の二として、原告の学内不法占拠の事実を主張するが、原告は昭和二八年四月中旬頃より、理工学部長平尾子之吉教授および同学部機械工学科主任下村英太郎助教授の勧誘、承認のもとに居住しているのであつて、何ら不法占拠ではない。しかも大学より退去の要求を受けたのは本件解雇後の昭和三〇年九月頃が最初である。

元来、原告は飲酒すると愉快になる性質であり、酒の上で大声を出してはしやぎ、あるいは同僚の自宅へ押しかけて迷惑をかける程度のことは、ほめたことではないが、別段に取りたてて問題にする程のこともない些細な私行上の欠点にすぎず、かかる二、三年前の問題にもならない出来事を捏造した右休職理由は到底正当なものとはいえない。しかも大学の就業規則第二五条第二項の「休職期間は三ケ月とする」旨の規定は右休職期間満了により当然休職の効力を失い、改めて休職を命ずるか、あるいは退職理由があれば、それを根拠に退職を命じなければ当然復職する趣旨の規定であるに拘らず、右休職期間の満了により当然退職になつたものとして、原告に対してなした本件解雇は何ら正当な解雇理由がない。

したがつて本件解雇は無効である。

三、なお、大学は原告に対する右休職理由の合法化に苦慮したものか不可解にも、原告に対して就業規則第二五条第二項の「休職期間中は給与の半額を支給する」旨の規定を無視して昭和三〇年四月五月六月分の賃金全額を支給したのみでなく、解雇後の同年八月より昭和三一年三月までの八ケ月間にわたり、賃金の概算払として合計金一〇万八、〇〇〇円を支給し、しかもその間、原告の再三に及ぶ抗議に対し、その都度「時期をみて復職させるから、もう暫らく待つてくれ」といいのがれて日時を遷延してきたが、昭和三一年三月末日頃「復職の見込が立たないから他に職を探してくれ。賃金はもう支払わない」といつて賃金の支払を一方的に打切つたのであつて、このことは如何に大学が原告に対する休職ならびに解雇理由の捏造に苦慮したかを示すものであるとともに、その正当な理由がなかつたことを裏書きするものである。

四、以上のとおり本件解雇は無効であるから、原告は昭和三一年一〇月三〇日、大阪地方裁判所に対し被告を相手取り身分保全の仮処分申請をなし、同三三年八月一一日に、原告を大学の職員として取扱い、且つ原告に対する未払賃金および将来の賃金を支払うべき旨の原告勝訴の判決を得た。しかるに大学は右仮処分判決に基づく原告の強制執行の寸前に単に賃金を支払つたのみで、原告を大学の職員として取扱おうとしないのみでなく原告に対し健康保険加入の手続をなさず、その他、種々の差別待遇をしているので、原告は被告に対し請求の趣旨記載の判決を求める。

と述べ、被告の主張に対する答弁として「本件解雇につき解雇予告手当の支払提供がなされたとの被告の主張事実を否認する」と述べた。

被告訴訟代理人は主文と同旨の判決を求め、請求原因に対する答弁として、

原告主張の請求原因事実のうち、第一項記載の事実(但し本件解雇が休職期間の満了のみを理由とするものであるとの主張は否認する)、同第三項記載の事実中、大学が原告に対し昭和三〇年四月五月六月分の賃金を支給したこと、同第四項記載の事実中、原告主張の仮処分判決があり、これに従つて大学が原告に対して主張の賃金を支払つたことは認めるが、その余の主張事実はすべて争う。すなわち

一、本件解雇は次に述べるような理由に基づくものであつて、何ら瑕疵はない。

(一)、原告は酒行上悪癖があり、飲酒すると学園内外を問わず他人の非難を受ける行為が多く、到底教職員として適当とは考えられないほど醜態を演ずることが屡々あつた。そのうち特に著しいものを挙示すると、

1、昭和二七年一二月頃、泥酔のうえ深夜、布施市小若江の大学職員寮の隣に居住する近畿大学附属中小学校長楢崎浅太郎宅玄関において、わめき立て障子を破壊した。

2、昭和二八年三月一五日の卒業式当日、泥酔して大学二号館四号室を清掃中の小使松村キタに酒を勧めたのに同女が断つたのを生意気であるとして、数回にわたり同女の頬を殴打した。

3、同年一一月二五日、大学図書館閲覧室において教職員の忘年会が開かれた際、泥酔して理工学部長平尾子之吉教授の頭部を殴打した。

4、昭和二九年五月五日、南海電鉄沿線の淡輪公園において教職員互助会のリクリエーシヨンが開かれた帰途、泥酔して朝鮮人数名と口論喧嘩した。

5、授業時間中に酒気を帯びて教授講師控室に立ち入り意味なくわめき立てたり、大声を発する等不謹慎な行為を屡々くりかえし、教職員および学生から、その不謹慎を非難する申し入れが再三にわたり大学当局にあつた。

(二)、原告は昭和二七年一〇月頃から、大学の理工学部機械工学科西実験室の東北隅二階一室約六坪に大学の承認を受けることなく不法占拠して居住し、これを発見した大学管理当局より厳重に退去を要求されたにも拘らず、これに応ぜず、そのため昭和三〇年三月頃に予定されていた右実験室の改築工事が一部不能となつた。

以上は、その著しいものを例示したにすぎないが、かかる行為は大学の教職員にふさわしからぬ非違行為であることは勿論であるところ、かかる行為が教育機関である学園内で放置される場合はもとより、学園外でくりかえされる場合にも、大学自体の権威、信用を失墜させる事態を招くことが明らかであるため、大学は昭和三〇年三月一九日に理工学部教授会を開催して、原告の処遇を審議した結果、原告の叙上行為は、大学の就業規則第四一条第二号「故意、過失もしくは監督不行届により学園に損害を与えたとき」、第四号「素行不良なるとき」、第一〇号「同僚に対し重大な侮辱を加えたとき」に各該当し、懲戒解雇に相当するものと判定されたが、学内の不法占拠は本人の意思次第で直ちに解消されるものであり、その余は、いずれも酒行上の悪癖であつて、本人の節酒または自粛によつて治癒されるものである点を斟酌し、原告の将来をも考慮して反省の機会を付与し、前記非違行為がなくなれば、そのまま復職できる方途を残すのが妥当であるので、直ちに右懲戒規定を適用せず、就業規則第二五条第一項第五号の「業務上の都合によるとき」の休職規定を適用して、休職を命ずべきことを決議し即日、理事長の決裁を経て、原告に対し休職の発令をした。

しかるに原告は右休職期間である三ケ月間においても、依然として前記学内一部の不法占拠を継続したのみでなく、屡々酒気を帯びて学園内外を徘徊したため、教職員および学生はもとより学園附近の住民からも指弾非難を受ける仕末であつた。そこで大学は右休職期間の満了直前である同年六月一六日、再び理工学部教授会を開催し原告に対する復職の可否を附議したところ、原告には反省の意思がみえないので教員として不適当であると認めて、解職に処すべき旨を決議したので、理事長は直ちに、そのように決裁して原告に対し休職期間の満了する同月一八日付をもつて就業規則第二六条「通常解雇」の規定を適用して解職の発令をした。しかるに当時、原告は居所が不明であつたため容易に解職辞令を交付できなかつたが、同月三〇日に漸く大学へ出向してきたので同所で平尾理工学部長が原告に対し直接、右解職辞令を手渡すとともに三〇日分の平均賃金相当の解雇予告手当金一万三、〇〇〇円余を現実に支払うべく提供したのであるが、原告は右解雇予告手当を受領しようとしないのみでなく、一旦受領した解職辞令を岩城総務課長の机上に突き返して立ち去つたから、本件解雇は同月一八日に遡り、その効力を発生した。

二、仮にそうでないとしても、本件解雇は、原告に対し解雇予告手当を現実に提供して解職辞令を交付した同月三〇日に、その効力が発生した。

三、以上のとおり、被告の原告に対する本件解雇は何らの瑕疵がなく有効であるから、原告の本訴請求は失当である。

と述べた。(証拠省略)

理由

一、休職および解雇の通告

被告大学は学校法人法による総合大学(法、商経、理工、薬、各学部、短期大学部)であり、原告は昭和二六年一月一日に被告大学の理工学部機械工学科の非常勤講師として採用され、翌二七年四月一日より専任講師として勤務していたものであるが、大学が原告に対し昭和三〇年三月一九日付で休職を命じ、更にその後三ケ月の右休職期間が満了したとして同年六月一八日付で退職になつたとして、その頃、原告に対し解雇の通告をしたことは当事者間に争がなく、右争がない事実のほか、成立に争がない甲第一三号証、乙第八第九号証、第一〇号証の一、二、証人岩城由一の供述により成立を是認できる甲乙各第六号証、右証人および原告本人の各供述に弁論の全趣旨(もつとも右のうち乙第九号証は叙上関係証拠によれば原告作成の文書ではなく、大学の事務当局が原告に予告手当金を提供して、その領収証を徴するため準備した書面であると認められる。)を綜合すると、

原告は前記日時に期間の定めなく被告に雇用されたものであるが、被告は就業規則の解釈上、復職辞令を発しない限り休職期間の満了により当然に退職になるとの見解に従つて、原告に対し同年六月一八日付で「休職期間の満了につき本職を解く」と記載した解職の通告書を発するとともに、就業規則第二六条第一項「退職を命ずる場合は少くとも三〇日前に予告する。予告できないときは三〇日分の平均賃金を支払つて即時解雇する。」の規定を適用して、原告に対し右解雇予告手当金一万三、三四三円(但し三〇日分の平均賃金一万七、五〇〇円より源泉課税等の法定控除金を差し引いたもの)の支払準備をしたうえ、遅くとも被告の主張する同年六月三〇日に原告に対し、右解雇予告手当金を現実に提供して解職通告書(原告はこれを解雇の通告と称していることは、その主張自体で明らかである)を交付しようとしたが、いずれも原告が受領を拒否した。

ことを認めることができる。証人岩城由一および原告本人の各供述中、右認定に反する部分は信用できず、他にこれを覆すに足る資料はない。

二、本件の争点

原告は、本件解雇は正当な理由のないものであるから無効であると主張し、附加して右解雇は休職期間の満了により当然に退職となつたものとしてなされたものであるから無効であると主張するに対し、被告は、これを争う。ところで本件解雇が休職処分の期間満了により当然に退職となつたものとして解職の通告書を発してなされたものであることは正に原告主張のとおりであるけれども、本件では、解雇に当り適正な解雇予告手当金が現実に提供されていて、解職通告書の文言には確認的な解雇の意思表示のほかに、いわゆる通常解雇の意思表示を含むものと解すべきところ、本件のように期間の定めのない雇用契約において労働基準法第二〇条の解雇予告手当を提供すれば、通常解雇は使用者の自由に任されていて、解雇事由を示すことを要しないし、その効力発生要件としても正当な事由の存否や、その客観的妥当性を必要とするものでないと解するを相当とする。しかしながら解雇は被処分者やその家族の生活に甚大な打撃を与えるものであるを通常とするものであるから、解雇が自由であるといつても無制限に自由であるというものではない。すなわち直接、労働基準法第一九条のような明文の存する場合は勿論のこと、そうでなくても本件のような場合についていえば、前記休職処分と一連の密接な関係を有するものとしての解雇事由の存否、解雇の経過その他、諸般の状況から解雇権の行使が被告大学に格別の利益をもたらすものでなく、却つて原告に対する害意その他の不当な目的を達成するためになされたとか、その他、信義則に反して濫用されたものと認められる事情が存在する場合には民法第一条により、その効力を否定されるものであるといわなければならない。しかして原告の前記主張は正に本件解雇が権利の濫用に当るから無効であると主張しているものと解すべきであり、叙上説示の事情の存否が本件の主要な争点であるというべきである。そこで、以下順次、かかる事情の存否につき考えてみる。

三、争点についての判断

(一)、原告の「本件解雇は休職期間の満了により当然に退職となつたものとしてなされたから無効である」旨の主張について。

原告は附加的に右のように主張するから、先ず、この点につき考えてみる。一般に休職処分とは当該従業員に執務させることが不能であるか、もしくは適当でないような事由が生じた場合に、従業員の地位は現存のまま保有させながら執務のみを禁止する処分であると解されるから、通常は、その事故が一時的であり、かつ事故の消滅によつて当然に復職することが予定されているものであることは勿論、休職期間中に休職事由が消滅しない場合においても就業規則に特段の定めがない限り、休職期間の満了により復職する趣旨のものであると解するを相当とする。けだし、そうでないと条件付解雇を認めるのと同様な結果となり被処分者の地位を甚しく不安定にするからである。ところで本件では、前示甲第六号証によつて被告大学の就業規則には解雇基準の定めがないばかりでなく、休職期間の満了により当然に解雇となる旨の規定は何ら存在しないことが明白であり、証人岩城由一の証言により成立を是認できる甲第七号証および同証言によつて、被告大学の昭和二六年六月一日以前の旧就業規則第二六条第二項には「休職期間は三ケ月とし、期間の経過後は自然退職として取り扱う」旨規定されていたのを現行規定のように改正したものであるのに、大学当局は右改正によつて従前の休職処分との間に格別の差異を生ずるものでないとの見解をとつて原告に対しても、休職期間の満了により当然に解雇となるとして前記解雇通告書を発したものであることが認められる。そして、これらに徴すると右解雇通告書の前記文言は被告大学が就業規則の解釈を誤つたことに基づくものであつて、就業規則に特段の定めがない本件においては原告に対し休職処分の満了により当然に退職となるような処遇は許されないというべく、したがつて原告に対する右休職処分は前記休職処分の一般的な性格を超えて解雇猶予の機能を営ませたものである点において違法たるを免れないというべきである。また被告大学は原告に対する前記休職処分と本件解雇とを順次関連した一連の処分として処理しているのであるが、前記休職期間の満了によつて当然には解雇の効力が生ずるいわれがないことも明白である。しかしながら本件解雇は労働基準法第二〇条所定の解雇予告手当を提供した通常解雇とも解しうること、および通常解雇が原則として使用者の自由に任されていることは既に説示したとおりであるから、本件解雇につき被告大学の側に就業規則の解釈を誤つたため解雇通告書の文言に多少の不備な点があり、かつ解雇と密接な関係をもつものとしてなされた休職処分が違法であるからといつて、この一事から直ちに通常解雇としての本件解雇までが違法無効になると即断することはできない。

(二)、被告主張の解雇事由等について

前示甲第一三号証、成立に争のない甲第一ないし第四、第八ないし第一二号証、乙第一二ないし第一五号証、証人岩城由一、同平尾子之吉、原告本人の各供述に弁論の全趣旨を綜合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

原告は昭和四年に京都帝国大学工学部機械工学科を卒業し、阪神電鉄社員、兵役、満州重工業社員等を経て終戦後、引揚げ帰国したものであるが、外地で妻と死別して以来、一人の子をつれてやもお暮しを続け、昭和二六年、被告大学の理工学部に機械工学科が新設された際、京都大学工学部教授有志の推選を受けて被告大学に講師として招かれたものであるところ、

(1)、元来地声が大きく、かつ酒を好み酒乱の悪癖があり学園内外を徘徊して相手かまわず大声で呼びかけ、他人や大学を非難する等、教職員として適当とは考えられない程の醜態を演ずることが屡々あつた。そしてそのうち甚しいものを挙げると、

(イ)、昭和二七年八月頃の夏期休暇中の夕刻、同僚と飲酒したうえ、大学職員寮の二階に居住する友人の商経学部長川西正鑑教授を訪ねるため、同所の階下に居住する大学附属小中学校長、楢崎浅太郎方玄関口において「正鑑、正鑑」と大声でわめき立て右楢崎方玄関の障子を破壊した。

(ロ)、昭和二八年三月一五日の大学卒業式の当日、学生との間に謝恩会が催された際、大学二号館四号室において、小使松村キタが一学生より酒をすすめられて飲もうとしたところ、原告が酩酊し両脇を学生にかかえられながら同女の傍にきて「こんなおばあに酒を飲すことがあるか」というなり、附添つていた学生の手を振り切つて、同女の頬を平手で数回、殴打した。

(ハ)、同年一一月二五日、大学図書館閲覧室において教職員の忘年会が催された際、平尾理工学部長が原告の傍に行つたところ、いきなり原告が手拳で同部長の頭部を殴打した。

(ニ)、昭和二九年五月五日、南海電鉄沿線の淡輪公園において教職員互助会のリクリエーシヨンが催された際、帰途泥酔のうえ同公園の台地附近で韓国人数名と口論喧嘩をした。

(2)、原告は昭和二八年五月頃、理工学部教授松村龍雄が奈良学芸大学へ転任したので、従来、同人が暫定的に居住していた理工学部機械工学科西実験室二階の一室に大学当局には無断で同人に代つて居住するようになつたが、同実験室は文部省の大学設置基準により改造を迫られていて、平尾理工学部長から再三、立退くように申し渡されたが応ぜず、右改造を妨害してきた。

甲第一第三第四第八第九第一三号証、乙第一二第一三号証の各記載および証人平尾子之吉、同岩城由一、原告本人の各供述中、以上の認定に反する部分はたやすく信用し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

のみならず前記甲第八第九第一一号証、証人岩城由一の供述、同供述により成立を認めうる乙第一一号証の一、二を綜合すると、原告は職務上においても自己の担当する講座を休講することが多く「製図と実習」には全く顔も見せず、担当講座を減らされたこともあつて専任講師としての適格性にも欠けるところがあつた。それで本件解雇に対する原告主張の仮処分判決があつた直後の昭和三三年一〇月頃、右判決によつて原告が復職する旨の風評が伝わるや理工学部機械工学科の主任教授はじめ一〇名の教職員全員が連名で大学理事長に対し、前記酒行上の悪癖のほか原告が授業能力を欠き、専任教員としての勤務の不正確や協調性の欠除等を理由として著しく教職員としての適格性を欠いているとして教室復帰に強硬な反対を表明した程であることが認められ、当裁判所が信用しないとして前に挙示した証拠を措いて他に反証はない。

そうだとすると、大学が原告を解雇するについて相当合理的な理由があつたといえそうである。しかしながら本件解雇が前記非違行為等のみを主要な原因としてなされたものでないことは後述のとおりであるから、これらの点のみによつて本件の帰趨を決することはできない。そこで更に進んで本件解雇問題の経過について検討する。

(三)、本件解雇問題の経過について

前示甲第一ないし第四、第六ないし第九、第一一、第一三号証、乙第六、第一二ないし第一四号証、第一〇号証の一、二、成立に争のない甲第五号証、乙第七号証、証人岩城由一の供述により成立を是認できる乙第三ないし第五号証、証人岩城由一、同平尾子之吉および原告本人の各供述に弁論の全趣旨を綜合すると、次の事実を認めることができる。すなわち

被告大学においては教職員の任免権は寄附行為の定めにより理事長に専属しているが(当時の理事長は世耕弘一であつた)、その諮問機関として各学部毎に、その学部の専任教授をもつて組織する教授会がある。しかして大学の現行就業規則は前認定のとおり昭和二六年六月一日に改正されたもので、これによると、休職期間が満了した際の処遇については何らの規定がおかれていないけれども、大学当局は改正前の前記旧規則第二六条第二項の趣旨が改正によつて何ら変更されないとの見解をとり、これに従つて処理していた。

ところが昭和三〇年三月中旬頃、理工学部機械工学科の下村英太郎助教授の処分問題(超勤手当の詐取)にからみ、原告が平素飲酒を好み、かつ口が軽くて外部の思惑を何ら顧慮することなく、思つたことを直ぐ言動に表わす性格で、特に酔余、前後を弁えずに放言する癖があつて、下村助教授問題についても部外者等に対して勝手な放言をして大学当局への批判をも含めた兎角の論評をして廻つていたので、これを憂慮した平尾理工学部長、谷出機械工学科主任教授、中崎助教授および大学事務当局の教学、経理、厚生の各部長、岩城総務課長等が協議した結果、このまま放置すると原告の軽率な言動によつて事態が更に紛糾し、結果的に大学の威信に重大な恥辱を与える虞れがあるので、直ちに執務を禁止する必要があるとし、具体的には原告に前認定のような非違行為があるので、就業規則所定の懲戒解雇にも該当するとの意見もあつたが、それらはいずれも原告が是正する気持にさえなれば容易に解消できる事柄である点等を斟酌して懲戒規定の適用を差控える代わりに、就業規則第二五条第一項第五号の「業務の都合によるとき」の休職規定を適用し、それでもなお非違行為が解消をみない場合には下村助教授の処分との均衡上からも、休職期間の満了と同時に解職すべきものである旨の指針を打ち出した。そこで平尾理工学部長は急遽、同月一九日に大学総長室で理工学部の教授会を開き、出席した一一名の教授に対して一時間余にわたり、原告および下村助教授に対して休職処分を発令することの賛否をはかつた。これに対して一部の教授から休職事由を具体的に挙示されたい旨の要求が出されたが、同学部長は下村助教授についてと同様に個人の名誉に関する事柄であり、なお原告の行状については殆んど周知のことでもあつたので具体的な事由を説示することを避け、原告については単に酒行上の悪癖がある程度のことを告げただけであつた。しかして結局、一部の教授から譴責のような軽い懲戒処分に付するのが妥当ではないかという意見も出されたが、大勢は原告および下村助教授の両名を、この際、思い切つて解職する位の厳重な措置を講じなければ機械工学科を志望する学生が減少して同学科の運営ができなくなる虞れがあるとの有力教授連の意見に同調して、右両名の進退問題についての措置一切を学部長の判断にまかせる旨決議した。そこで平尾学部長は直ちに理事長に対し原告が下村助教授と同様に教職員としてふさわしくないので、機械工学科教室の運営につき支障が少くないとして休職処分相当の意見を具申して理事長の決裁を得たので、事務当局は原告に対し同日付の休職辞令を数日後に交付した。しかしてその後の同年四月中旬頃、平尾学部長は原告に対し直接口頭で休職事由は酒行上の悪癖である旨を簡単に告知したほか、更に、その後の同年六月初旬頃、厚生部長永井次勝は復職方を要請してきた原告に対し、節酒および実験室からの立退を実行できれば復職の斡旋に尽力することを約束した。

ところで休職期間満了直前の同年六月一六日に、下村助教授を復職させるよう検討して貰いたい旨の一部教授の要請によつて開催された理工学部の教授会において、同助教授を復職させるのが相当であれば原告にも同情できる点があるから同様に扱うべきである旨の一、二の発言があつたが、結局、両名の進退問題の措置については前記三月一九日の教授会で学部長が一任を受けているからという平尾学部長の裁断があつたのみで、復職の可否については格別の結論を出すことなく散会した。しかして平尾学部長は、かつて同年三月頃に原告のために保証人となつてくれる適当な人物があれば、休職処分を避けうると考えて心当りを打診したが、何人も引き受ける者がなかつた経緯、原告が休職中も行状を改めなかつた点等からみて遂に復職不相当で、結局解職するほかないと判断したので、事務当局を通じて、手続については従前からの前記見解に従い休職期間の満了により当然に解雇になるものとして、同年六月頃、理事長に対し解雇発令の上申手続をしたところ、理事長は即決を避けて永井厚生部長等を招いて事情を聴取したうえ、退職金等につき可能な限りの便宜を付与するよう指示して、その頃、右上申のとおりに決裁した。そこで大学事務当局は遅くとも前記のように同年六月三〇日原告に対し同年六月一八日付の解職辞令および前記解雇予告手当金を交付しようとしたが、原告はいずれも受領を拒否した。しかして原告はその後、同年八月二九日、永井厚生部長に対し予告手当であれば受領できないけれども、生活に困るので金員を暫時でも借用したい旨を申し入れたので、同厚生部長は原告の前記非違行為の是正なかんづく実験室の立退が実行されれば理事長の配慮振りからみて原告の再雇用がなお可能であると判断して同人の一存で主として大学から借受けた金員をもつて、同月から翌三一年三月頃まで八ケ月間にわたり、原告に対して毎月一万三、〇〇〇円程度の金員を貸与し、かつ、その間に終始、実験室から退去するように勧告し、転居に必要な敷金等を一時的に自分が立替えてもよいというほどの厚意を示すかたわら、原告の復職先の斡旋にも心掛け、当時、新設された電気工学科の非常勤講師になら改めて雇用される見込があつたので、原告の意向を確めたところ非常勤講師であることに難色を示したため、その後は再雇用の斡旋に格別の進展がみられなかつた。

しかして本件解雇後においても、原告は理事長に対し復職方を要請し続けた結果、昭和三一年六月五日、理事長の要請に基づいて開催された教授会において、原告の復職の可否が提案されたが、すでに解職後のこととて一部に難色を示す意見が出たところから、平尾学部長の復職不可の裁断で審議を終つた。その際、原告から弁明したい旨の申し出があつたが同学部長の一存で、その機会を与えなかつた。

前掲各証拠中、以上の認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

しかして右事実によると、原告に対する処分問題は前記非違行為自体が主要な原因をなしたというよりも、直接にはむしろ下村助教授の処分にからんで原告の性行が危険視されたためであると推察されること、これを審議した前記理工学部の教授会をみると処分事由が具体的に提示されて討議を尽したわけではないばかりでなく、前記甲第一一号証、乙第一四号証によると、少くとも一部教授に対してはその前日に電報による議題不記載の通知をもつて漸く会議を招集したほど慌しいものであつたことが認められるほか、原告に対して何ら弁明の機会を付与した形跡が認められないことをも含めて、解雇という重大な人事案件を答申する教授会の審議としては手続および内容の両面において、いささか慎重さを欠いているとの非難を免れないこと、解雇を前提とした前記休職処分は被告大学の就業規則に何ら規定されていない処遇であるばかりでなく、実質的にはこれに前記非違行為に対する懲戒処分の性格をも帯有させた点において休職処分の一般的な性格を超えた違法不当な処遇であるといわざるを得ないこと、被告から原告に対し前記休職処分の趣旨ないし具体的事由を記載した文書が交付されたり、あるいは理事長から右事項を告知した形跡が何も窺えないので、原告において理事長はじめ大学の首脳部に対して再三にわたり復職方を申し入れたが、終始、休職および解雇の事由が漠然としてとらえどころのないものであつたため、なす術がなかつた旨の原告の弁疎を無下に排斥し難いこと等、原告に有利な事情も少くなく、更に大学が原告を招致した経緯をも考え併わせると、休職処分をも含めて本件解雇を甚しく不当であるとする原告の心情を了解するに難くない。

しかしながら他面、前記休職処分をするに至つた当時の状況のもとに大学の首脳部において原告が兎角に協調性を欠き、特に飲酒して前後を弁えずに放言する悪癖等があるうえ、少くとも前記非違行為があること等からみて、原告が下村助教授問題について大学に対し、いわれのない不利益な論評を加えているのを放置できないとして執務を禁止する措置に出たことが甚しく妥当性を欠くものとは遽かに判定し難いこと、しかして前示甲第六号証によつて明らかなように被告大学の就業規則により懲戒処分の種類が訓戒、譴責、減俸、解職の四種に限定されているため、本件のように酌量の余地があつて懲戒解職は過酷であるが、さりとして執務を禁止すべき者に対して課しうる懲戒処分がないこと、前記甲第九号証および証人岩城由一、原告本人の各供述によると、原告は休職期間中においても賃金の全額を支給されたことが認められるうえ、休職期間中に平尾学部長および永井厚生部長等から休職事由を一応にもせよ告知されたのであるから、その気になつて前記非違行為をくりかえさないように自戒さえすれば、復職できた筈であるので、最も軽度な懲戒処分を受けるよりも、なお大学の専任講師という職責からみて休職処分の方が原告にとつて、実質的には、より苦痛の少ない処遇であるともいいうること、原告としてもその憤懣の情は諒解できるところであるけれども、なお冷静に自己の職責に思をいたして平尾学部長および永井厚生部長等の勧告を率直に受け容れて、前記非違行為等をくりかえさないように自粛して大学当局の不安を解消させるよう努力を尽すべき責務があることが明らかであるのに行状を改めず少くとも実験室からの退去の件については格別の誠意を示した形跡が窺われないこと(前示甲第一三号証および原告本人の供述によると原告が占拠していた実験室を明渡したのは早くとも本件解雇後、約三年を経た昭和三三年四月以降であることが認められる)、および理事長はじめ平尾学部長、永井厚生部長等の主要な関係者は、それなりに原告の立場をも考慮して休職期間中は勿論、解雇後と雖も相当な長期間にわたり、むしろ原告を円満に復職させるべく親身な配慮を加えたのに、それらが原告に通じるところとならなかつたのであつて、本件解雇問題が一部の教職員ないし一部の事務当局者と原告との間の単なる感情面での対立ないし相剋から提起されたものであるとは到底認め難いこと等の事情があるので、本件解雇に至るまでの経緯からみても、前記休職処分をも含めて本件解雇が違法無効となるほど甚しく不当であるとはたやすく認めることができない。

(四)、以上の綜合的判断

以上の諸点を綜合して全体的に考察すると、被告の主張するような酒行上の悪癖および実験室の不法占拠だけが本件解雇の主要な原因であるとは容易に認められないのであるが、そうであるからといつて、それらが単なる口実であるにすぎず、解雇の真の理由が原告に対する害意に出て他の違法または不当な目的を達成するためのものであつたとは到底認められないので(この点については原告の側においても格別の主張立証をしないところである)、結局、本件解雇が信義の原則に違反するかどうかの問題に帰着するものであるというべきところ、前記のような原告に有利な諸事情だけからみると、本件解雇について大学の側に、いささか信義の原則にもとる落度が少くないといわざるを得ないけれども、他面、大学の側からすれば本件解雇に踏み切るに至つた経緯において前記のような肯認するに足る事情が相当に存在し、なかんづく、被告が下村助教授の処分問題を機会に学校経営の姿勢を正そうとしている際に、原告の非違行為をも是正しようとしたことは何ら非難さるべき事柄でなく、むしろ当然になすべき措置であるのに、原告において心ある大学首脳部の勧告に従おうとしなかつたため遂に復職が不可能となつたものであるとの被告の言分を容易に動かし難いから、原告としても被告の側の前記落度を一概に非難できる筋合ではないというべく、これに通常解雇の前記性格を併わせ考えると、本件解雇につき被告の側に就業規則の誤解やその他、前記落度があることをもつて、その効力を否定しなければならない程、原被告間の雇傭契約の信義に反するものとは認め難いといわざるをえない。

以上の次第で本件解雇は解雇権の濫用とは認められないので、それにつき正当な理由がないから無効であるとの原告の主張は到底採用することができない。

四、結論

してみると本件解雇は、それを無効ならしめるほどの瑕疵がなかつたことになるので、遅くとも昭和三〇年六月三〇日に解雇予告手当が提供されたことによつて効力を発生し、これによつて原告は被告大学の職員たる地位を喪失したものというべきであるから、原告の本訴請求をすべて失当として棄却し、なお訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 三谷武司 滝口功 松尾政行)

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